グローバリゼーション擁護について私が補足する二、三の事柄 // my bloody valentine - soon Andy Weatherall mix

メモ。


twitterで、P.クルーグマンのエッセーへのリンクつぶやきがそこそこRTされているのを見かけた。
目にしたつぶやきそのものについては、クルーグマンの原文は1997年だけどそのへんのところはどう考えてるのか、という点を除けば、何か言いたいことがあるわけではない。クルーグマンの言ってる内容に関わっていくつかの論点を付け加えておくことにする。

クルーグマンの論説はこちら:低賃金労働を称えて http://bit.ly/cfmn9N
原文 http://web.mit.edu/krugman/www/smokey.html



このタイプの議論は一つの典型だ。そしてクルーグマンは経済学者としては文章がうまい部類に属する。その刺激的なレトリックは、おそらく読者の反応をきれいに二分するだろう。この「低賃金労働を称えて」自体、彼が以前に書いた別の文章に対する強い非難への応答として書かれたものだ。
実を言うとわたし自身は、クルーグマンの基本的主張についてはそれほど異議を唱える必要を感じない。多国籍企業がいわゆる発展途上国(あるいは第三世界)、たとえばフィリピンへ進出するのは、低い労働コストに魅力を感じるからだ。途上国の側では、世界市場で勝負できる技術力を自力で創出することができなかった。多国籍企業が進出先で支払う賃金は、もちろん本国、たとえばアメリカの賃金より低いが、フィリピンにおける従来の賃金よりは高くなるだろう。企業はその相対的な高賃金によって労働者を雇い入れようとするはずだから。もし事業がうまくいけば、途上国の経済は全体として成長し、国民の生活水準も上昇することが期待できる。
オーソドックスな経済学のイントロダクションにこそふさわしい内容だ。ようするに、アダム・スミスのヴィジョンである。自由なビジネスは、やがてみんなを幸福にする。これがうまくいくのなら、すばらしいと思う。
この基本的ロジックに関しては、クルーグマンは嘘を書いているわけではない。問題は、他の事情だろう。このロジックだけでグローバリゼーションや経済発展のプロセスを把握することはできない。全てではないにしても、いくつかの事柄を補足したほうがよさそうだ。複数の要素を組み合わせれば、全体像も変わってくるかもしれない。ランダムに挙げる。


1、
クルーグマンのレトリックは挑発的だと思う。彼は、反グローバリゼーションの主張を、ナイーブさからくる正義感はあるけれど問題を考え抜く努力を怠っている欧米人のナンセンスとして描き出す。わたしの印象では、これは一面的な見方だ。
以前、反G8の活動をしているひとたちの話を聞いたことがある。彼らはG8の問題点について、多くのデータを示しながら筋の通った説明をしていた。もちろん、彼らを衝き動かすパッションを感じないわけにはいかなかった(わざわざドイツからやって来たのだ)。だからといって、その言葉がたんに感情的であるとか思慮不足であるとは決して言えない。
その時に彼らは、インドからの反G8活動についても話をした。多国籍企業の進出が自分たちの生活基盤を破壊しようとしている、だから直接G8の会議の場に出向いて要求を伝えようとしている、といった内容だった。これは一例に過ぎない。グローバリゼーションの問題を批判的に考える国際会議である世界社会フォーラムは、ブラジル・インド・ベネズエラ・マリ・パキスタンケニアなどの各地で開催されている。そして何より特筆すべき南米における運動の高揚。こうやってざっと列挙するだけでも、反グローバリゼーション運動を(むしろオルター・グローバリゼーションと言うべきだけれど)、豊かな欧米人(・日本人)の愚かな善意としてのみ解釈するのは相当な無理がある、ということは明白だろう。


2、
途上国に進出する多国籍企業の動機についてはひとまず措くとして、途上国の政府は何をしていたのか。クルーグマンはこの点についてふれていない。「多国籍企業が進出することで経済発展がすすむ」という過程において、国家の果たす役割は非常に大きい。そもそも多国籍企業が世界中で自由にビジネスを行うということ自体、歴史的な経緯を抜きには語れない。企業の多国籍化は、はじめは先進国間で進行した。第三世界の諸国が輸入代替工業化の戦略を採用していた時代には、先進国の企業は締め出されていた。
輸出志向工業化への途上国の戦略転換が、多国籍企業の進出を可能にした。そこに大きく関わるのが、急速な経済発展のために国民の政治参加を抑圧する体制、いわゆる開発独裁だろう(開発独裁ということばは学術的な概念としては曖昧だという指摘もあるが、いずれにしてもこのことばで指し示される問題が存在しなかったということにはならないと思う)。フィリピン、インドネシア、韓国、台湾、ブラジルなど、多くの国が開発独裁の体制を経てきたと指摘されているし、現在の中国もそうかもしれない。ナオミ・クラインのいう「ショック・ドクトリン」も、問題としては近いところにある。残念なことに、経済発展の陰で多くの血が流されるというのは、かなり一般的な傾向であるらしい。この問題について、多国籍企業は無関係なのかどうか。巨大な権益に関わる有力企業に関していえば、多くの疑惑があるように思う。
経済発展がうまくいけば、政治体制は民主化される傾向にある。とはいえ、豊かさがいかに達成されたのかをきちんと議論しようとする限り、たんに「自由なビジネス」だけで話を済まそうとするのは知的でもなく道義的でもない。
クルーグマンの議論は、基本的にスミスのヴィジョンと同一だと上で述べた。スミスは自由な経済活動を擁護した。同時に彼は、あくどい商売人を強く批判した。「自由な市場経済」を論じる際に、この点は非常に重要だと思う。CSRなんていう概念がどれほど新しいものか、その意味を十分考えるべきだ。国際労働基準についてクルーグマンは「独善的」と書いているが、さすがにここは首を傾げざるを得ない。途上国の低賃金はスウェットショップを正当化する理由にはならない。クルーグマンの論説の訳者氏は、クルーグマンの不用意な議論を補足して、ILOの協定を批准している国ほど投資が流入しているとするバグワティを引用している。ただし、この指標がどの程度実態を反映しているのかはわからない。よく読むと引用文全体の意味も取りにくい。「協定の批准は,労働者が実際にどれだけ保護されているかを判断する材料として適切とは言えない」とも述べられている。
話を戻そう。歴史を少し顧みればわかるように、資本主義は自動的に倫理的になるわけではない。労働問題だけが重要なのではないけれど、わかりやすい例なので挙げておく。労働者の抵抗、そして見かねた国家の介入がなければ、イギリスの資本家は労働時間の上限さえ受け入れようとしなかった。自由の国アメリカでは、大恐慌を経験するまで労働者の団結権・団体交渉権は認められなかった(1947年のタフト=ハートレー法によってその権利は再び制限された)。果たして開発独裁は特殊なケースだろうか。


3、
クルーグマンの論説の主眼は低賃金だったので無い物ねだりをするわけにはいかないけれど、グローバリゼーションの問題を考えようとする際に、国際金融の問題は外せない。しかしこの問題は非常に複雑で、正直なところ手に負えないので、基本的な事項だけを確認したいと思う。
金融とは、お金を必要とする人とお金が余っている人を仲介することだといわれる。じっさいのところ、その「仲介」の部分こそが、極めて巨大かつ複雑なのだが。「資産選択」をおこなう主体にとって第一の関心事は、己の資産をいかに有利に運用するのかということだ、とされる。金融のさまざまな規制を取り払う「自由化」「ビッグバン」「グローバル化」は、そのような資産家たちにとって、そして資金を必要にする者たちにとっても、実に有益だということになる。環境は整った。こうして、資産価格の変動に素早く反応することこそが基本的な行動原理となる。その帰結がバブルとその崩壊であることは言うまでもない。
国際金融の問題とは結局、このような短期的・投機的ふるまいがグローバルかつリアルタイムに連動してしまうことによる、不安定性の増幅だ。サブプライムローンは、途方もなく複雑な操作を通じて広汎な金融商品ポートフォリオに入り込んでいたため、その破綻の影響は甚大なものとなった。このような不安定性のために、金融のグローバル化は、クルーグマンの望むような着実な経済発展を阻害している面があると言ってもいいと思う。

>追記 現状分析としては、さしあたりこちらを↓ http://blog.livedoor.jp/kaneko_masaru/archives/1255123.html

企業の多国籍化と金融のグローバル化の関係について、ほんとうはしっかり考察すべきなのだが、今は準備不足。少なくともこの問題を無視して経済のグローバル化を評価するわけにはいかないはずだ、ということだけ記しておきたい。


まだまだいろいろ不十分ではありますが、最後に一つだけ。
クルーグマンは、「なるほど金持ち資本家たちはグローバリゼーションから利益を得ているかもしれないけれど、いちばん恩恵を受けている人は、そう、第三世界の労働者たちなんだ」と書く。
「いちばん[biggest]」?
第三世界の労働者がグローバリゼーションから恩恵を受けているのだとして、しかしそれが「いちばん」だと言える根拠は、どこに示されているのですか?



さてお話変わって

http://www.youtube.com/watch?v=mi7bQoIBbJY

あ、変わってなかった。


さてお話は変わります

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