行けなくても #410nonukes

ブログでは基本的にまじめなことしか書かない私ですので、いつものごとくクソまじめでたいくつなことを書きますよ。


しらじらしいとしか思われないかもしれませんが、やはりこのたびの震災・津波で、なんといえばいいのか、被災地の方々はほんとうにたいへんだと思います。わたし自身はいまのところほとんどなにもできていないですが、長期戦なので、まだまだこれから募金などできることをやっていくつもりです。
このブログは是非。 http://blog.goo.ne.jp/flower-wing 少し下にスクロールして、3/23「1、被災地へ。」あたりからどうぞ。


念のために確認しておきますが、この災害がひどいものになっている大きな理由の一つとして、原発の事故があります。
わたしは西日本在住なので地震津波にしても放射能にしても直接的な脅威は及んでいないのですが、そんなことは関係ない。
何人もの東京の知人が放射能への不安を口にしています。当然だと思う。一般大衆の科学リテラシーの欠如をバカにする人もいるけれど、そういう問題なんだろうか。ほんとうに安全ならそのほうがいいに決まってる。でもじっさい、TVに出る学者たち、はじめはみんな「たいしたことない」って言ってたのに、どんどんひどいことになっていったじゃないですか。
それに、もし仮に東京が完全に安全だとしても、この事故はひどすぎる(細かいことをわたしが解説しようとしてもしょうがないので、ここでは一切ふれない)。ほんとうに、許し難い。
わたしは前から原発の問題について関心はあって、ツイッタでは、原発関連のニュースなどを見かけたらRTするようにしてきたつもりだけど、詳しいわけではなかった。そんなわたしでも、いろいろやばいことやおかしなことがたくさんある、というのは知らないわけじゃなかった。で、今回の事故。
「想定外」をなくすことなんてできない、なんて妙にものわかりのいいことを言う人なんかもいて(…その人物が、普段はジェンダーセクシュアリティの問題に関してとても繊細な感覚と論理で反応していることを考えると、奇妙な印象を受けざるを得なかったりもするのだが)。そりゃあ「想定」というのは一定の範囲を意味するんだから「想定外」っていうのは常に存在するでしょうよ。でもそういう話じゃない。今まで、国も電力会社も、「原発は絶対安全だ、クリーンだ」と、くり返してきた。何度も何度も。その一方で、原発の問題に関して、国や電力会社の隠蔽体質は明らかだったし、どこかで事故が起きても情報の公開は不十分だった。そういう極めて政治的な歴史があって、そして現在の事態に至っている。
(いや、そもそも「想定外」じゃなかった、という話も、ずいぶん出てきてるわけだが)
だから、いろいろ公式に出される情報が信頼されないのも、当然だと思う。そういう過去がある。信用を失っても仕方ないようなことが、ずっと続いてきた。その結果、こんな事故が起きてしまった。最悪ですよ。
もちろん、今は国や東電にがんばってもらわなければ困る。でも、だからって、連中は決して免罪されない。いま現場で、文字通り必死の作業をしている人たちのことを気遣うというのならば、なんで彼らが命を賭けなければならないようなことになってしまったのか、誰もが考えなければおかしい。「今は東電を批判するな」というのはどういうことなのか。じゃあ後からキッチリ批判するの?
それどころか、経団連のボスの米倉弘昌氏は、これからもガンガン原発推進するぜ、みたいな発言をする。わけがわからない。ていうかやばい。もう、福島の方々にほんとうに申し訳ない。


どうも、うまく書けない。でも、同じようなことはすでにいろんなところでさんざん語られているし、同じような気持の人もたくさんいると思う。


今すぐ、すべての原発を止めろ! と思う。
いや、もっと前に、そうすべきだった、と思う。


「そんなこと、現実的に無理」という声が即座に返ってくる。
そんなことわかってる。
じゃあ少なくとも、今すぐにすべての原発をきちんと点検して、危ない原発は止めるべきじゃないでしょうか。そして、今後10〜15年くらいまでを目処に、少しずつ代替エネルギーに移行して、原発をなくしていく。日本の技術がすごいというのなら、原発じゃない方法の開発に力を集中すればいいと思うのですが、いかがでしょう(原発は安いという「定説」に対する疑義もかなり出てきてるし)。
今回のことでさすがに方向転換するんじゃないか、という意見もある。しかしわたしは、それは希望的観測だと思う。これほどの事故が起こった後でも都知事の石原氏は原発推進を明言。放射線による健康被害を低く見積もろうとする傾向は根強い(勝間なんとか氏はとりわけ見苦しい例)。その他、事故は「反対派」が新しい原発導入を阻止してたせいで起きたとかいうデタラメ、先の経団連会長の発言などなど。
「今すぐ、すべての原発を止めろ!!!」というくらいの主張が相当強くならなければ、少しずつ原発から移行するという方向性の議論でさえ、かなり難しいはず。これが、実戦で核兵器を使用された国の、現状です。


原発はやめたほうがいい、と考える人は、少なくないと思う。しかしそれらはまだ、一個人の、バラバラの、私的な意見にとどまっている。一個人の私的な意見は大事だ。でもそれらが集まって、原発に対する巨大な本気の疑問符として、社会的な実在となって出現しなければ、このまま無視され、抑え込まれてしまう。もちろん選挙も、機会の一つではある。しかし重要なのは、決定の次元に強力な圧力を加えることであって、ある限定された手続きだけをありがたがることではない。何より、まともに取り上げるに値しないとされてしまっていた声を、世に知らしめなければならない。現実の空間・場所において、あちこちで、いろいろなひとが集まり、大きな“群れ”となって、動き、要求を掲げること(「情報に翻弄される群衆」ではなく)。
ドイツでは、何万人もの規模の反原発デモが起きた。日本とドイツでは政治文化のようなもの(?)がずいぶん違うから、同じようにはいかないだろうが、すでに東京をはじめ、名古屋、札幌、京都で反原発のデモは行われている。たとえばこれ。 http://pwkyoto.com/news/info/110403-2.html


で、4月10日には、東京・高円寺で、反原発デモがおこなわれる。
http://410nonuke.tumblr.com/

いつも、素人の乱の界隈の動きは、頼もしい。わたしは参加できないのですが、少しでも情報を広める一助になればと思う。
こんなブログの記事なんてあってもなくても変わらないのはわかってるけど。いや、そんなことわかりきった話で。とにかく原発やめよう。


おまけ