M.I.A.のMVとその反響のこと

引用する。


「戦争を非難する意図をもった作品でありながら、殺戮本能を刺激するホラー映画の手法を使っている矛盾がある。ドキュメント映像を使用したほうがよかったのでは。殺戮を非難する作品でありながら殺戮へ人を掻き立てる作品になっている。殺される人達の物語がほぼ語られていないからだ」
http://twitter.com/tajima_takao/status/12928284581


M.I.A.の新曲'Born Free'のMVについてだ。この田島貴男氏をはじめ、音楽の作り手としては曽我部恵一氏、ソウルフラワーユニオン(ただしRT)の発言をtwitterで目にした。そして小野島大氏などの音楽ライターはもちろん、多くのひとがそのMVについてつぶやいている。


ホラー映画の類いは好きではない、どころか本当に苦手なわたしに対しては、ショッキングな映像が十分な効果をあげた。しかし、巨大なマーケットに応えるものとして残酷な映像表現は氾濫しているのだから、田島氏をはじめとする諸氏の危惧はもっともである。
とはいえ、そもそもわたしたちは、10分にも満たないMVに何を求めるのだろうか。映像作家は、そこで何をやろうとしているのだろうか。


'Born Free'のMVは、美的な・あるいは作品としての評価という観点で言うならば、すごくすばらしいわけではないとわたしも思う。だが、あのチープな過剰さは、ポップ・ミュージックの属性そのものではないのか。けっきょく「ヘタなセンセーショナリズム」が一番センセーショナルなのだ、ということだろうか。その意味ではM.I.A.のMVは大成功だ。


細かい分析はしない。この際、話を飛躍させよう。「M.I.A.の新作アルバムに期待」などという妥当なまとめはやめて。
そう、わたしたちはアメリカ軍が何をしてきたかを知っている。これまで日本の政府がアメリカの戦争に対してどんな態度を取ってきたかを知っている。そして今、沖縄で何が起こっているのかを知っている。偶然にしてはできすぎたタイミングの挑発だ。もちろん偶然(“タイミング”に限って言えば)、なのだけれど、こういう状況のもとでMVの手法のセンスについて云々するならば、何をどのように考えればいいだろうか。

http://www.miauk.com/