補足の補足 // Buraka Som Sistema - Kalemba (wegue wegue)

メモ。




前回のエントリ http://d.hatena.ne.jp/anythign/20100509/1273338238 についての補足。


今回は2点に絞る。


まず、スラムについて。
クルーグマンの原文は1997年。その後、全世界で、スラムは減少したか。おそらく、むしろ反対なのではないか。
地球の都市化は止めどもない勢いで進行中である。現在の都市人口の膨張の大部分を占める第三世界の都市化は、かつての先進国におけるそれとは異なる相貌を示している。都市の爆発的な成長は、都市経済の成長を伴っていない。M. デイヴィスの『スラムの惑星』を見よう。「地球上には人口数百から100万人以上まで、おそらく20万ヶ所以上のスラムがある」。「スラム居住者は先進国では人口の6%にすぎないが、後発開発途上国ではなんと78.2%に相当するのだ。これは世界の都市人口の3分の1に等しい」。「スラムの「成長」は、都市化そのものを凌駕してきた」。


この間、経済のいわゆるグローバル化は着実に進行してきた。
マニラのスモーキーマウンテンのようなゴミ山に住まなければならない人びとは、企業活動のグローバル化によって消滅するだろう、とクルーグマンは書いていたと思う。
端的に、事態は、そのようには進んでいない。
クルーグマン自身、スモーキーマウンテンから人がいなくなったのは「フィリピン警察が強制的に退去させたから」と書いている!)


もちろん、スラムの爆発の責任はすべてグローバル企業にある、と断言できるわけではない。開発途上国の政府に相当大きな責任があるのは間違いない。
しかしいずれにしても、「魂なき多国籍企業や地域の強欲な起業家たちの行動の意図せざる間接的な帰結」によってスラムが消えてなくなる、などとまじめに考えるのは、余程の楽天家でなければ無理な話だ。



次に、クルーグマンダブルスタンダードについて。
彼はこう書いていた。
「国際労働基準を独善的に求める声」。
たしかに、多くの第三世界ですぐさま先進国並みの労働基準を遵守させることは、現実的には難しい。しかしクルーグマンが言っているのはそれ以上のことのように思える。国際労働基準を求める声を、「一種の選り好み」と形容しているのだから。


一方、彼はこんなにすばらしい言葉も、書いているようだ。別のところで。
「社会的公正と進歩は手に手を取って進むことができるんだよ」。
http://bit.ly/8qOHDm
原文は http://www.nytimes.com/2010/01/11/opinion/11krugman.html
アメリカにはびこる経済のドグマに対して、ヨーロッパの経験から学ぶべきことがある、と。
アメリカ人に対して、こう言っている。


実にすばらしい。


H. チャン『はしごを外せ』によれば、そもそも先進国は、自分たちが経済成長する際に用いた方法を、開発途上国には許さない。貿易の自由化に関していえば、現状においても、欧米は多額の(それこそ、アフリカの小国の国家予算に匹敵するような)補助金を農業に投じているにもかかわらず、途上国に対しては保護をやめ自由化せよと強制する。


「社会的公正と進歩は手に手を取って進むことができる」
わたしもそう願いたい。



*前回のエントリは、欲求不満のたまるものだった。クルーグマンは「オレの理屈もわからない青臭い反グロはバカ」という調子で書いているので、ともかくも一旦は彼の論を受け入れた上で文句をつけなければいけない。前回は、そういうつもりで書いてみた。さて、今回は、ストレスを溜めないよう、わたしの感情的な反発をなるべくそのまま出すこと笑を心がけた。と書きつつも、そんなに前回と変わらないような気もする。まぁともあれ、これでつっかえは取れるはずなので、今後ぼちぼちブログの更新も再開される、かもしれない。


ではお話変わって

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