2008.03.14(金)Marx oltre Marx 各章要約 (5)

[20080314]つづきです。
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どうもです。では早速第5講を。

第5講議は「利潤・恐慌・破局」です。ここでは、マルクスのいわゆる「利潤率の傾向的低下法則」をどう理解するかが一つのポイントとなっています。ネグリは前章での基本的主張をもとに利潤と恐慌を論じます。

さて、剰余価値と利潤の差異について、普通のマル経での整理を確認しておきましょう。労働時間のタームで価値は表されます。だから剰余価値は必要労働時間と実際の労働時間との差です。一方利潤は価格のタームで表現されるので、個別資本にとっては平たく言ってしまえば価格から費用を差し引いた残りです。が、利潤率は、資本の移動の完全な自由という前提のもと、社会的に均等化されます。利潤率はこのように総資本のコスト全体に対して成立する割合なので、剰余価値率とは異なります。当然ここではいわゆる「価値から価格への転化問題」が関わりますが、どうでもいいので割愛。要するに二つの別個の計算方式があるという話であって、剰余価値の観点が「深層」を把握するものだ、と。

ネグリの理解は微妙に異なります。上の説明で利潤率は社会的に成立するということがわかりますが、これをネグリは、剰余価値を社会的に拡大する過程として理解します。ミクロからマクロへの議論の移行は単なる観点の移動、「形式的なもの」ではなく、ダイナミックな社会的過程として考えられている。剰余価値の社会化としての利潤とは、生産の諸条件から拡張・遊離する資本の運動が、その条件を包摂し位置づけ直すことである。つまり社会的資本の構成のプロセスが問題になっているとも言える。
 これは搾取の強化の過程であって、個別の労働過程ではなく社会的労働の総体によって形成される。これはまた、資本による労働の形式的包摂から実質的包摂への移行としても理解できます。利潤は、まずは媒介、すなわち諸生産部門間の均等化である。
ついで、資本による社会的生産全体の包囲、社会的力の搾取、社会的剰余価値となる。

当然この過程は自動的な進行ではありません。これは矛盾の拡大であり、労働の敵対の増大です。利潤率は、競争という条件のもとで成立しています。その条件のもと、資本はますます多くの労働を利用しなければならない。しかしこのことは、ますます多くの労働の反抗をもたらす。マルクス「利潤はつねに資本家階級の利潤である」こうした利潤の政治的側面は、対立する主体の形成を指し示す。ネグリ「流通過程を通じて生産の諸矛盾は強められる」
 こうして、恐慌についての基本的な視角が与えられます。恐慌は、不比例による恐慌(流通における部門間の不均衡)と実現の恐慌(過剰生産あるいは過少消費)という二つの現象形態があるが、その根本に、必要労働と剰余労働との矛盾した関係があるとネグリは考えます。資本にとって恐慌とはこの関係を再構築することです。そして剰余労働と必要労働の関係とは、二つの階級間の関係でもありました。恐慌(および発展)は、階級闘争の産物であるとみなされることになります。

ネグリはこのようなマルクスの議論が、革命を破局と同一視しているように見える、と述べます。ここで「破局」とは、経済主義・客観主義的観点から見た、資本主義の発展がそのまま資本主義の崩壊をもたらすというような事態のことです。ネグリはこのような解釈を退けようとします。

利潤率の傾向的低下の法則は、ふつう、資本の有機的構成の高度化によって説明される。要するに、不変資本の割合の増大が剰余価値率を圧迫し、利潤率の低下を帰結するというわけです。しかしネグリは、そのような定式化以前の『要綱』段階での議論に着目することで、別の洞察を引き出す。問題は、必要労働と剰余労働の関係でした。
利潤率の低下は、必要労働の硬直性によるものなのです。これは、労働者階級の自律性(アウトノミア)を意味するのです。賃金は単に硬直的であるだけでなく、むしろ大きくなろうとする。これは労働者による価値増殖、自己価値創造である。それは、部分的には資本の活動の結果でもある、欲求の拡張であり、労働者の主体性の構成である。結局、ここでのマルクスの「恐慌から破局へ」というヴィジョンは短絡的ではあったが、恐慌の可能性、そしてもちろん革命の可能性は労働者の主体性にもとづいているということです。

xxx先生のまとめによると、マルクスの恐慌論は以下の類型にまとめられます。まず、
剰余価値生産の危機に注目する議論で、一つは利潤率の傾向的低下を主とする考え方、二つ目は過剰蓄積による利潤圧縮の重視です。
次に剰余価値の実現の危機という観点があり、一つは部門間不比例の議論、もう一つは過少消費・過少投資という有効需要不足に注目するものです。ネグリの主張は、一つ目の議論を階級闘争を中心に再構成したものと評価できるでしょう。重要な議論だと思いますが、個人的には、「実現」の水準をもっと強調すべきであり、それを階級闘争の次元と結び付ける必要があると思います。

やっと半分越えました。次回をお楽しみに。

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