2008.03.14(金)Marx oltre Marx… 余談  // Alec Empire - Low On Ice

[20080314]つづき、というより、おまけ。
各章要約だけを読みたい方は、ここは飛ばして下さい。
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えーっと、忘れていたことがあったので今のうちに書いておきます。
特にxxx君への話ですが。

1ヶ月ぐらい前?に気がついたことなのですが、伝えるのを忘れてました。
以前、xxx君が、経済活動におけるアレント的「活動」のモメントに可能性を見い出すことができるのではないか、というような話をメールしてくれました。
そのとき私は、まるで古臭いマルクス主義者のようなレスをしてしまいました(「経済活動は基本的に資本の論理なんだから、アレントでいえば「労働」でしかない」)。
それは単に頭のかたいマルクス主義というだけでなく、アレント理解としても頭がかたすぎたかも知れません。

その後、少しずつネグリとその周辺の連中の本を読むうちに、「こいつらの言ってることはxxx君の考えと近いのでは?」と思いはじめたのです。『帝国』に、「非物質的労働」という概念がでてきますね。ひとことでいうなら、これです。非物質的労働の核となるのは、「コミュニケーション」です。それは「労働」でありながら、「活動」なのです!

そもそも私は、アレントによる人間の活動の3分割に文句があったのに、そのことを展開させようとしていなかったということになるんでしょう。ふつう、生きるための労働といっても、それが完全に孤独な、メカニカルな過程でしかないというのはよほど極端な場合だけでしょう。おそらく人間は、地球に誕生したときから集団で狩猟し、採集していたはずです。農耕が始まればなおさらです。産業革命以後確かに一般の賃金労働が機械の付属物のような作業と化す傾向が強かったとは言えるでしょうが、しかしただそれのみで労働が成り立ちうるかといえばやはり疑問です。そしてネグリ達によれば、ポストフォーディズムにおける労働にとって最も重要なのはコミュニケーションである、ということになったわけです。

また、ネグリの興味深い論点として、労働の批判というものがありますが、「労働からの解放」はまた「労働の解放」でもある、と述べています。勝手に解釈するならば、資本主義のもとでの労働というのは非常に狭い労働なのであって、その本来のポテンシャルは、人間の活動の全体にわたるものなんだ、みたいな感じかな。資本主義がものすごいダイナミズムを持っていると評価できるとしたら、それはこのような人間の活動を取り込んでいるからですよね。やっぱり。だってやっぱ生き生きしてるビジネスマンもいますよね(みんながみんなではないけど)。資本の増殖とか、資本の生産力、その発展とかいうようなことって、当たり前だけど、人間がやってることだしね。
こはちゃんと考えないといけない。

と、こんな話なんですが。またxxx君の意見も聞いてみたいです。連続メールすんません。ではでは。

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さてお話は変わって

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