2008.03.14(金)Marx oltre Marx 各章要約 (3)  // DUKES OF STRATOSPHEAR - What in the world

[20080314]つづき。
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第3講です。ここは方法論的な話題ということもあり、ネグリの議論の解説と私自身の見解がどうしても入り混じってしまうということを予めお断りしておきます。

第3講議は「敵対的傾向という方法」です。
取り扱われるのは、有名な「経済学批判序説」です。
たとえばアルチュセールなどはこの「序説」を資本論の方法について述べたものとして検討したのですが、ネグリはこれを「要綱」の方法についてのテキストとして捉え直します。

まず、序説において「生産」の概念が問われます。ネグリはこの問題を「名辞と実在」の関係と捉えます。ここで神秘化を回避することは、政治的投企を実在に結びつけることです(ネグリの基本的立脚点)。
 マルクスの言葉を見ると、「生産一般は一つの抽象である」「それなしにはどんな生産も考えられない」「しかし」「それ自体多様なものの組み合わせであり」「生産一般にあてはまる諸規定がまさに分離されなければならない」
 つまり、生産一般なるものがそれ自体として実在するわけではない。標準的なミクロ経済学は、まさにこのような誤謬を犯していると見ることが可能です。「経済行動」を超歴史的に、形式的に定義すること。その結果として、特定の歴史的形態を一般化すること(「現存の社会関係の永続性を証明する近代の経済学者」)。

構築された一般概念的な抽象は、差異にもとづき独自に規定されなければならない。
 そこに話はとどまりません。再びマルクス「生産はいつも一つの特殊な生産部門であるか、あるいは生産は総体である」「一つの総体のかたちで活動しているのは、ある一つの社会体であり、一つの社会的主体である」
 主体的な構造としての全体性が問題となっています。ネグリによればこの全体性は、観念論的な「内包」への還元ではなく、構造にダイナミクスを与えるものです。さらにそれは、差異の契機によって構成される。マルクスは全体性のカテゴリーとしての生産を生産・分配・交換・消費というように分節化するが、ネグリはそれを読み替えて、「構造を弁証法的に構成する主体」「全体性を構築する敵対的関係」と考えます。
ここが、ネグリマルクスへの「介入」の大きなポイントの一つであると言えます。
平たくいえば、階級関係を基礎的な契機として位置付けるということ。

次に、「抽象」の問題。与えられている「具体的なもの」から出発するのではなく、抽象から具体へと進むという、よくいわれるマルクスの方法です。これは対象の物神化を避け、むしろそれを暴くことを狙うものです。つまり、与えられているものこそが説明されなければならない。これは結局、基礎的な概念の検討が分析に不可欠であるということでもある。またここでネグリは、この過程は集団的思惟の過程である、ということもいっています。これが、マルクスの方法の第1の構成要素です。

第2の構成要素は、「傾向」です。抽象を単に思惟の産物とするのではなく、「実在抽象」の問題を考えなければならない。たとえば交換価値という抽象的カテゴリーは、歴史的に形成されてきた。マルクス「最も一般的なもろもろの抽象は、最も豊かな具体的発展のある場合にだけ、一般に成立する」
 傾向とは歴史的運動である。それは抽象を産出する。具体的過程のダイナミクスが抽象的実在をつくり出す(貨幣という「もの」と個別の商品の交換の反復が「価値」を実在させる。貨幣はこの社会的抽象をいわば「体現」する)。
 そして傾向は、ただ受動的なカテゴリーの構築ではなく、投企を行うべく未来を照らし、その光のなかで現在を読みとることを可能にする。ここから第3の要素がでてくる。

それは「実践における真理」です。何というか、無茶な言葉ですが。ここで、序説における労働の概念が取り上げられます。マルクス「『労働』は、この単純な抽象をつくり出す諸関係と同じように、近代的な一範疇である」それは、多数的なものの接合と統一であり、ダイナミックな要素、錯綜、主体的諸力の合力である。資本制的生産関係がこの運動を規定する。その結果、労働という範疇は、「実際上真実となる」。
 「実践における真理」は、カテゴリーが発展する契機であり、抽象と実在、抽象化と傾向の接合の契機である。それは、認識の現実性への生成である。これが、さらなる展開を引き起こすことになります。

さて、先に述べた敵対的関係について。ネグリは、客観的前提が疎外された前提になるという移行によって、差異が敵対的関係となると述べます。わかりにくいですが、使用価値と交換価値の分裂が、商品交換という形態に具体化するプロセスをネグリは挙げています。このような過程が客観的前提にダイナミズムを与える。これは、資本の集中化、国家の集中化、さらには世界市場における矛盾の深化へと展開します。
 一言でいって、敵対的関係がシステムを発展させる原動力であるということです。
ここは、のちの賃金論へとつながっていきます。

このようなダイナミズムが、方法の第4の基準をもたらします。「研究および理論の不意をうつ基準、主体の「転位」、「構成」」です。現実のダイナミズムのその中において、研究は「実践における真理」たるべくなされる。そのために、認識は純粋に己の論理に従って展開することがあり得ない。現実の質的な変化は、理論の不意を打つ。認識はまた現実に投入され、その変容を引き起こす(かも知れない)。そうして運動する現実のダイナミズムが、再び認識に侵入する。この相互的なプロセスは、主体の転位の過程でもあるというわけです。
 ネグリ「この基準は、闘争の発展と抗争のパラメータの変化が理論的枠組みの不意をうつことを何にもまして肯定的な前提とみなす」「構成されたもの、それは新しい世界であり、現在−−転形のために−−提示されつつあるもの、それは新しい認知的現実である」これは、政治化された内部観測とでも言えるでしょう。アルチュセールのいう「状況」の問題にも通じるところがあります。

このプロセスは確かに「弁証法的」といいたくなるのですが、マルクスの言葉を借りると、「概念的諸規定およびこれらの諸概念の弁証法だけしか問題とされていないかのような仮象を生みだす観念論的な叙述の様式を訂正することが、のちには必要となるであろう」。

長くなりましたが、今回はこんなもんで。では。

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さてお話変わって

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