2008.03.14(金)Marx olte Marx 各章要約 (1)  // MMMMacaroni [Remix]

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by boottraxx



それではお話変わって


[20080314]えー、ネグリさん来日記念ということで、
マルクスを超えるマルクス』(清水・小倉ほか訳、作品社、2003)の各章要約をアップします。
だいぶ前に、友人に一方的に送りつけていたメールからのコピペ。
ではどうぞ。

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というわけで(どういうわけだ)、ネグリマルクスを超えるマルクス』の話を。
ある意味私の勉強の確認みたいなもんなので、迷惑かもしれませんが。
要点をまとめる感じでいきます。役に立てばいいけど。

 この本は、1978年にパリの高等師範学校(エコール・ノルマル)でネグリが行ったゼミにもとづいています。
(だから、章立ては「第3章」とかではなく「第3講議」という風になっている。)
このとき、高等師範学校にはまだアルチュセールが健在(2年後に妻を殺してしまう)。ネグリの「主体」を強調する議論が、「構造主義」と受け止められていたアルチュセールの根城で繰り広げられた、という状況です。

 『帝国』を読めばわかりますが、1968年に何が起こったか、というのがネグリの大きなモチーフです。左翼政治の文脈でいえば、いままでの工場労働者、直接生産過程中心、前衛党の指導、というヴィジョンとは全く異なる動きが起こった、と事後的に評価されていますが、彼は運動のただなかにあって、この新しい事態をいかに把握すればいいのか、ということを考えたわけです。(旧左翼や、また多くの「68年」世代ものちには、あの時代を否定的に位置づけるけれど。)
 ネグリのいたイタリアでも、共産党の指導によらず、下からの、新しい要求、中心を持たない運動の方法・形態が生み出された。彼は何よりそれを肯定するわけです。
それは、運動の内部で思考し、理論を実践に投じ、その実践をうけて思考し、そしてまた、、、という、彼自身の方法、経験にもとづいていると言ってもあながち間違いではないでしょう。

 大まかな文脈はとりあえずこれくらいで。
では、第1講議、「『経済学批判要綱』ー開かれた作品」から。
 なぜ『要綱』なのか?(それこそアルチュセールは『資本論を読む』ことを課題としていた。)簡単に言えば、『資本論』は客観主義、経済主義、あるいは決定論的であり、またそれゆえに政治の問題、政治的主体の問題を考えるのに適さないからである。要綱はノートなので難解だが、マルクスははっきりとしたヴィジョンを持っていたとネグリは考えます。
 ネグリは一つの解釈の軸を持ち込みます。「敵対的関係」という視点です。階級闘争といってもいいかもしれません。資本主義のダイナミズムを把握しようとするとき、多くのマル経学者は、「資本の論理」だとか「生産力の発展」(技術の問題と言っても同じ)という視点でやろうとする。これは正しくない、なぜならば主体的契機が欠けているから。技術進歩にしても恐慌にしても階級間関係が強く影響しているのだ、ということです。
 マルクス主義において過程のダイナミズムは「弁証法」によって把握・記述される、とされていました。そしてこれはマルクス主義の強みだとも考えられていた。しかしネグリは、弁証法を批判します。概念の自己展開としての弁証法は、「矛盾」を「止揚」、すなわち解消してしまう自動的過程でしかない。『資本論』はヘーゲルの論理学をモデルとした叙述の形式をとり、「資本」の視点から資本の論理を展開する。しかしこれは一面でしかない。資本はつねに労働を必要とし、そして労働は資本の思うままにはならないものだ、というわけです。ここから資本は(そして国家は)さまざまな戦略を工夫せざるを得ない。
 またネグリは、要綱は実践へと開かれ、質的に跳躍する叙述の方法にもとづいていると述べます。つまり、理論は演繹的に展開するのではなく、また理論の内部で自己完結せず、実践と関係することで展開する。(これはネグリ自身の方法だとみなしてもいい。)
 第1講議では、これからの論点が紹介されています。一応ここでも挙げておきましょう。まず、貨幣形態から価値形態へ。貨幣の批判、神秘化としての価値の定義。次に労働の定義。廃棄すべき労働の概念および現実。それから、反経済学的な理論としてのマルクス主義。敵対関係の分析としての価値論、「社会主義」への疑義。次に、社会的資本。資本の流通過程への、すなわち社会領域全体への拡張。そして、危機と転覆の科学。恐慌と革命的主体の出現のダイナミクス、移行の問題。さらに、コミュニズム、階級構成。欲求、自己価値創造、新たな権力概念。最後に、労働者階級を定義する諸概念のダイナミクス。賃金の批判的定義、コミュニズム的主体。(ちなみに、これは本の叙述の順番どおりではありません。)
 1講の他の論点としては、要綱解釈の話。ネグリは、要綱それ自体の価値を強調します(資本論への途上としてではなく)。

あまり長くなっても読みにくいので、今回は第1講で終わりましょう。

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*「Marx oltre Marx 各章要約」は、 http://www.feecle.jp/blog/?b=anything&d=20080314 からの転載です