メモ. 認知資本主義 // LLLinear Motor GirLLL!!!!!!!

[cognitive capitalism; capitalism cognitif]

非物質的労働が価値増殖において大きな戦略的比重を占める資本主義。工業労働が主導する資本主義に続く段階。

1990年代以降、いわゆるポスト・フォーディズムの歴史的特異性が次第に明らかになった。そこにおいては、労働とコミュニケーションとの区分(H. アレント、J. ハーバーマス)が融解する。


フォーディズムは、大量生産/大量消費の循環にもとづく。ひとことで言えばそれは規模の経済によって生産性の増大を可能にする蓄積体制である。その範囲内で賃金上昇が実現されるが、これは生産における構想と実行の分離を前提している。また、為替の固定相場制と資本の国際移動の規制が、貨幣・金融面での制約条件であった。
第2次大戦後の西側諸国は長期の経済成長を享受するが、1970年代に「資本主義の黄金時代」は限界に到達する。フォーディズムを構成した諸条件は危機の只中でその硬直性ゆえに放棄され、打ち壊されていくことになる。68年に象徴される文化/政治「革命」の噴出がこの激変を先導したが、それは刷新された右派が台頭する機会でもあった。すなわち新自由主義である。こうして、貨幣・金融制約は著しく緩和される。さらに賃労働関係において成立していた制度的妥協は新自由主義の政治によって激しい攻撃を受ける。そして資本主義は、フレキシブルな蓄積体制としてのポスト・フォーディズムへと再編される。これに応じて、権力のテクノロジーも変化してくる(規律型社会からコントロール型社会へ)。
もはや規模の経済による価値増殖が困難になった状況において、生産は、飽和し多様化した市場と、流動化し肥大した国際金融資本の両面に対して敏感に反応しなければならない。フレキシビリティの追求は、不安定化と同義である。労働は、雇用形態においてもその内容においても大きな変容を蒙ることとなる。ここに情報通信技術の劇的な発展が大きく作用していることは言うまでもない。それは資本と情報財の瞬間的な移動を可能にした。高度化しつづける情報環境は、認知資本主義の根本的なエレメントである。またそもそも情報財の生産が認知資本主義の主要な現場の一つでもある。

フレキシブルな蓄積は、非物質的労働の重要性を押し上げる。そこにおいては記号やシンボルの操作、知識の生産と加工やさまざまなネットワークの形成、つまりコミュニケーションこそが際立った特徴となる。これは文化産業やサービス部門において顕著ではあるが、もちろんこのことは物的生産が消滅することを意味するのではなく、物的生産に情報技術が全面的に入り込んでいることを前提とする。また非物質的生産においては消費者の積極的な関与もその意味を増しており、ここでも労働と非労働の境界は揺らぎつつある。その意味で認知的コモンズは特異な意義を担う。非物質的労働は、けっきょくのところ、個別の技能ではなく、人間の一般的な認知能力それ自体の発揮だとも言える。いわゆる感情労働もここにふくめて考えることができる。すなわちこのことは、資本制的生産が生命体・種としての人間の能力そのものを包摂し、商品化しつつあるということを示す。


認知資本主義という語が「知識資本主義」と重なることは否定できないが、いくつかの点を指摘することができる。第一に、“知識”の決定的な重要性は時代を問わない。第二に、知識の生産そのものは即自的に商品生産となるわけではない。それゆえに問題の現在性は、クリエイティブ階級の台頭といった話題では済まされない。むしろ、知識がいかに利潤を生みだす商品へと転換されるか、そのためにいかに労働が動員され編成され、その成果が管理されるか、コモンズとしての情報環境や認知的協働がいかに横領され搾取されるか、ということにある。知的所有権をめぐっての折衝は典型的である。〈共〉[common]をめぐる抗争は、いま最もアクチュアルな政治的・思想的問題の一つと言えるかもしれない。



さてお話変わって

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by boottraxx